「一億総活躍社会」とはどんな意味?ニートが輝く可能性は?
にわかに登場した「一億総活躍社会」というフレーズ。
「一億総」と「活躍」が組み合わさったものを、
行政のトップ(内閣)が掲げるということに違和感を覚えるが、
中には、「違和感を覚えること」に違和感を覚える人もいるようで、
そういう人とオイラの間には、「バカの壁」が存在するということになるのだろう。
※参考:「バカの壁」とは、「理解できない相手を人は互いにバカだと思う」という要点の著書のことである。
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バカの壁 [ 養老孟司 ]
好意的に解釈すれば・・・
「一億総活躍社会」を、
「一億人(国民全員)」が、「活躍」・・・ではなく、
「一人一人が、その人らしい自己実現を果たしやすい」社会・・・
という意味にでも解釈するなら、
そういう社会の「仕組み作り」を内閣は目標に掲げているのかな?
ということになり、
少なくとも、その目的自体に対しては、目くじらを立てて反対する理由は何もないことになりそうだ。[details]
普通に解釈すれば・・・
ただ、「一億総活躍社会」という言葉を普通に解釈する限り、
それは、
「人々の行動様式のあるべき姿」が問われているようにも聞こえる上、
「人々が行政に期待すること(無駄の排除など)にどう応えるのか?」というものでもなければ、
「行政ないしは社会の仕組みをどうするか?」のイメージを、仕組み論の観点から想起させるものでもない。
いわば、
社長が株主に対して、会社の方針を示すことなく、
株主の生活スタイルがどうなるこうなると言っているようなもの。
一体、この「一億総活躍社会」なるスローガンは、
どこから出てきたものなのか?
全くもって不思議と言わざるを得ない。[details]
ニートが輝く可能性
「一億総」というのは、多分、「国民全員」という意味。
そうなると、我らニート族も「活躍」しなければいけないような気持ちになるわけだが、
「活躍したくない奴は、活躍せんでエエ」ということなら、
「それは助かる。元より、活躍してるとかしてないとか、
人さまの基準に合わせて自己実現しようとは思ってないんでね・・・」
ということになる。
つまり、ニートにはニートなりの輝き方というのがあるわけで、
「ニートは活躍していない」という前提の社会の基準に、
ニート族が今からそれに合わせようとは思わない。
逆に、「ニートも活躍しなければならない」とするなら、
我らニート族は、いよいよ輝きを失うことになるだろう。
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