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「一億総活躍社会」とはどんな意味?ニートが輝く可能性は?

2018年3月10日

にわかに登場した「一億総活躍社会」というフレーズ。

一億総」と「活躍」が組み合わさったものを、

行政のトップ(内閣)が掲げるということに違和感を覚えるが、

中には、「違和感を覚えること」に違和感を覚える人もいるようで、

そういう人とオイラの間には、「バカの壁」が存在するということになるのだろう。

※参考:「バカの壁」とは、「理解できない相手を人は互いにバカだと思う」という要点の著書のことである。


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好意的に解釈すれば・・・

「一億総活躍社会」を、

「一億人(国民全員)」が、「活躍」・・・ではなく

一人一人が、その人らしい自己実現を果たしやすい」社会・・・

という意味にでも解釈するなら、

そういう社会の「仕組み作り」を内閣は目標に掲げているのかな?

ということになり、

少なくとも、その目的自体に対しては、目くじらを立てて反対する理由は何もないことになりそうだ。[details]

普通に解釈すれば・・・

ただ、「一億総活躍社会」という言葉を普通に解釈する限り、

それは、

人々の行動様式のあるべき姿」が問われているようにも聞こえる上、

人々が行政に期待すること(無駄の排除など)にどう応えるのか?」というものでもなければ、

「行政ないしは社会の仕組みをどうするか?」のイメージを、仕組み論の観点から想起させるものでもない。

いわば、

社長が株主に対して、会社の方針を示すことなく、

株主の生活スタイルがどうなるこうなると言っているようなもの

一体、この「一億総活躍社会」なるスローガンは、

どこから出てきたものなのか?

全くもって不思議と言わざるを得ない。[details]

ニートが輝く可能性

「一億総」というのは、多分、「国民全員」という意味。

そうなると、我らニート族も「活躍」しなければいけないような気持ちになるわけだが、

活躍したくない奴は、活躍せんでエエ」ということなら、

「それは助かる。元より、活躍してるとかしてないとか、

人さまの基準に合わせて自己実現しようとは思ってないんでね・・・

ということになる。

つまり、ニートにはニートなりの輝き方というのがあるわけで、

「ニートは活躍していない」という前提の社会の基準に、

ニート族が今からそれに合わせようとは思わない。

逆に、「ニートも活躍しなければならない」とするなら、

我らニート族は、いよいよ輝きを失うことになるだろう。

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