原節子って、結婚してないの?どこに誰と住んでたの?
昭和の伝説的映画女優・原節子が、2015年の9月に亡くなっていたことが分かった。
1920年6月17日生まれ。
2015年6月17日に95歳になっていた。
小津安二郎監督の「東京物語」(1953年)、「秋日和」(1960年)などで一世を風靡し、
稲垣浩監督の「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」(1962年)の出演を最後にスクリーンから姿を消した。
「生涯独身」は本当
原節子のことを「永遠の処女」などと形容する場合があるが、処女かどうかはともかく、生涯独身であったことは確か。
「鎌倉に住んでいた」も本当
帽子を深くかぶり、マスクをして歩いていた
鎌倉市浄妙寺(住所)で親族(甥など)とともに暮らしていたと言われているが、
晩年も鎌倉市で多くの目撃情報がある。
・美輪明宏が「鎌倉駅前の交差点で原節子に会った」とテレビで証言→「丸・・・(※丸山明宏の「丸」)」と言いかけ、すぐに走り去った。
・地元住民の「帽子を深くかぶり、マスクをした姿で犬の散歩をしていた」との口コミ。
「東京の医療施設」はガセか?
最後の5年くらいの間は、「鎌倉で姿を見かけなくなった」ことから、
「東京の医療施設にいるのでは?」との噂がもっぱら広まったが、
単に「庭より外に出なくなっただけ」というのが真相のよう。
「神奈川県内の病院で肺炎のため亡くなった」と言われていることからも、
「東京の医療施設」というのはガセ情報だったようだ。
芸能界引退の理由は?
まさに、「伝説の人」と呼ぶにふさわしい昭和のスター・原節子だが、
引退の理由については謎とされている。
小津安二郎が他界したのが1963年で、原節子最後の映画出演(上述の稲垣浩監督の「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」)が1962年。
原節子が公の場に姿を現したのは、小津の葬儀が最後だったと言われていることから、
小津安二郎の存在が、多大な影響を与えていたのは確かだろう。
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