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原節子って、結婚してないの?どこに誰と住んでたの?

2018年3月11日

昭和の伝説的映画女優・原節子が、2015年の9月に亡くなっていたことが分かった。

1920年6月17日生まれ。

2015年6月17日に95歳になっていた。

小津安二郎監督の「東京物語」(1953年)、「秋日和」(1960年)などで一世を風靡し、

稲垣浩監督の「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」(1962年)の出演を最後にスクリーンから姿を消した。

「生涯独身」は本当

原節子のことを「永遠の処女」などと形容する場合があるが、処女かどうかはともかく、生涯独身であったことは確か。

「鎌倉に住んでいた」も本当

帽子を深くかぶり、マスクをして歩いていた

鎌倉市浄妙寺(住所)で親族(甥など)とともに暮らしていたと言われているが、

晩年も鎌倉市で多くの目撃情報がある。

・美輪明宏が「鎌倉駅前の交差点で原節子に会った」とテレビで証言→「丸・・・(※丸山明宏の「丸」)」と言いかけ、すぐに走り去った。

・地元住民の「帽子を深くかぶり、マスクをした姿で犬の散歩をしていた」との口コミ。

「東京の医療施設」はガセか?

最後の5年くらいの間は、「鎌倉で姿を見かけなくなった」ことから、

「東京の医療施設にいるのでは?」との噂がもっぱら広まったが、

単に「庭より外に出なくなっただけ」というのが真相のよう。

「神奈川県内の病院で肺炎のため亡くなった」と言われていることからも、

「東京の医療施設」というのはガセ情報だったようだ。

芸能界引退の理由は?

まさに、「伝説の人」と呼ぶにふさわしい昭和のスター・原節子だが、

引退の理由については謎とされている。

小津安二郎が他界したのが1963年で、原節子最後の映画出演(上述の稲垣浩監督の「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」)が1962年。

原節子が公の場に姿を現したのは、小津の葬儀が最後だったと言われていることから、

小津安二郎の存在が、多大な影響を与えていたのは確かだろう。

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