組体操をやめさせる方法~事故で死傷させられる前にできること
もはや、国民的関心事となっている組体操問題。
通常の大人なら、直感的に「危険」と感じるところだが、
「やっぱりやめましょう」とはなかなかならない。
一部の人間の要望・願望によって決められ、
それに大勢が矛盾を感じながら従う・・・
という構造に、
一部の側の人間が、支配的満足感を覚えているフシがあるような場合、
「正論」をもってストップさせるのは困難なものである。
現実的には、彼らを「説得する」だけではだめで、
「あきらめさせる」ようなところまで踏み込む必要がありそうだが・・・
組体操「バカの壁」
※「バカの壁」とは、「理解できない相手を、人は互いにバカだと思う」という要点の、養老猛司氏の著書のこと。
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バカの壁 [ 養老孟司 ]
「正論を言っても無駄」とは言うものの、
一応、彼らなりの言い分が何であるかを聞いた上で、正論を述べる必要はあるだろう。
組体操賛成を唱える人々
「組体操をやめる必要はない」さらには、「組体操はやるべきだ!」と主張する人が必ず言うことに、
「協調性を養い、団結力の素晴らしさを学習し、達成感を味わうことができる」
「体育に危険はつきもの。危険だからやめるとするなら、○○もやめるべきことになる」
というのがある。
ここにバカの壁が存在する
協調性や達成感論
「協調性を養い、団結力を学習し、達成感を味わう」という目的自体を否定すべくもないが、
そのための手段としてなぜ、高い危険が予見される組体操でなければいけないのか?
危険はつきもの論
バスケやサッカー、さらに廊下での転倒などを引き合いに出し、
怪我の発生件数などを挙げた上、
「組体操だけが危険なわけではない(だから、危険であることはやめる理由にならない)」との主張があるが、
組体操には、
のしかかる重力などから、「特定の重大な危険」が予見されているにもかかわらず、
それを予防するための合理的な措置が施されることはなく、
本人の注意による危険回避可能性がない点が決定的に問題。
※ただひたすら、無事に終わることを歯を食いしばって祈るのみ状態。
やめさせる具体的な手段
徐々に、「巨大ピラミッド」をやめさせようという声が高まっているようではあるが、
「自分のところで」それが行われることとなった場合どうするか?
「例年行われてきた」というような場合は、何らかの声を上げないと、「自動的に今年も」ということになりかねない。
一応考えられる手段を挙げてみる。
どこに訴えるか?
PTAや生徒会
何はともあれ、PTAや生徒会。
自分の味方が2、3人でも存在することが確認できているなら、
ここに訴えて損することはないはず。
実効性がどの程度あるかは不明だが、筋を通す意味でも、まずはここに訴えるべき。
地元の893
即効性や実効性という点ではピカイチ。
ただ、後々、「組体操を我慢してやったほうがマシだった」という事態になることも考えられる。
地元の政治家
地元の政治家(国会議員、地方議員)は、このような声には敏感に反応するはず。
ただ、方向性としては、「法律や条例の整備」に向かっていくことになるため、
「今度の体育祭までに何とか」という要望には対応してもらえない可能性が高い。
また、政治家によっては、強権的志向の人もいて、「上からの命令に従順に従い、歯を食いしばって忍耐する」ことを「日本的美徳」と考える者もいて、完全に無視される可能性もある。
弁護士
弁護士が動くとすれば、行政に対する差し止め請求的なものになるだろう。
ただ、その場合は、PTAなどで意見がまとまっていることが必要になるかもしれない。
気心の知れた人の中に弁護士がいるのなら、どのような手段があるか聞いてみるのもいいかもしれないが、
逆に、そうでないと、「カネにならなそう」と判断され、相手にもされない可能性が高い。
世論形成に参加
SNSやブログ、ネット掲示板など、
とにかく、意見を発信する。
それ自体の即効性、実効性はなくても、
そういった一つ一つの積み重ねが「世論」を形成することになる。
訴える際のキーワードは?
北朝鮮のマスゲームのよう
号令一つで、無機質な決まり切った動きを強要される姿は、北朝鮮のマスゲームそのもの。
感動の押しつけ
危険が予見される状況を、「だから感動する」等の精神論でごまかす論法は、「感動の押しつけ」でしかない。
危険回避のために本人ができること
予見される危険に対し、本人が危険を回避すべき手段は、「参加しないこと」くらいしかない。
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